第1章 防音室づくりの姿勢・あり方(その2)
なぜ「ダメな防音室」ができてしまうのか
まず近隣に対する遮音性が不足する件。それはもう全く、その防音室の設計や工事を行った者が、防音についての基本的知識や技術を持っていないことによります。
多くの方は、建築の設計士や、工務店やハウスメーカーの工事担当者ならば、当然のこととして防音についての基礎知識は持っているはずだと思われているかもしれませんが、実際は、大学の建築学科を卒業して建築士の資格を持っているものでも、音についての知識は殆ど持っていないことが多いのです。ましてや工事に携わる一般的な建築職人などは、その知識は全くゼロに等しいといってよいと思います。
まあ、大学においても専門学校においても、音響学は必修科目ではありませんし、それを知らないことは、いたしかたないことでもあるのですが、問題は、それらの建築士や施工者が、建築において音をコントロールすることの難しさを知らず、自分でもできるだろうと安易に防音工事を受注し、生半可な知識で設計や施工をしてしまうことにあります。そうすることによって、不十分な遮音性能の防音室が出来上がってしまうのです。
このことを、設計士も施工者も自覚する必要がありますが、一方クライアントの方も、そのような無知な設計士や施工者を見抜いて、そのような者に防音工事を依頼してしまわないように気を付けることが大切です。そのためには、本書の第2章をお読みいただき、遮音ということについての基礎知識を知っておいていただくことが大いに役に立つと思います。
一方、音の美しさ、すなわち良い室内音響については、技術的な防音の知識だけでは、これを達成することはできません。そこには、音楽についての知識と楽器についての知識が不可欠となってきます。
良い室内音響の防音室を作るポイントは、第3章で詳しく述べたいと思いますが、その前提として防音室の設計者や施工者が、良い音とはどのような音なのか、音楽的な音とはどんな音のことなのかということがわかっていることが必須です。それが分かっていなくては、良い音の防音室など作れるはずがありません。
これは考えたら当たり前のことなのですが、現実はどうかというと、グランドピアノの音を生で聞いたこともなく、クラシック音楽のコンサートに行ったこともない、というような者が、防音室の設計や工事を行っているということが多いのです。また、防音室作りにおいては、そこで主に演奏される楽器の種類、すなわちそれがピアノなのかエレクトーンなのか、弦楽器なのか管楽器なのか、あるいは打楽器か、それとも主としてオーディオを聴くのか、それによっても求められる響きは全く違ってきますし、そこに部屋の大きさや形状という要素も入ってきます。
更に同じピアノでも、メーカーや機種によって音作りに違いがあります。そのことは、実際にピアノを演奏されるかたは、よくわかっておられることだと思います。しかし、そういったことまでは考えも及ばないという設計者や施工者が殆どなのです。それでは当然のことながら、クライアントの音楽的な要望には全く応えることができません。
涙を流したお客さん
以前に私の設計室に、女性ピアニストの方からご自宅の練習室兼レッスン室の改善の相談をいただいたことがあります。木造住宅の中にある8畳くらいの広さの防音室なのですが、そこで弾くピアノの音にどうしても違和感があって、なんとか改善したいというご相談でした。私とM氏でお伺いしていろいろ話をさせていただいていたのですが、そのとき急にそのピアニストさんが目頭を押さえて泣きだされたのです。私とM氏は何事起こったのか、なにかいけないことでも言ったのかとびっくりしたのですが、その方のおっしゃるには、いままで何件もの防音工事屋さんに相談したけれど、今回初めて音楽的な話をすることができた、それが嬉しくて思わず涙が出てしまいました、とおっしゃいました。
もちろんその改善工事はご満足いただける結果になりましたが、実際このかたのように、ご自分の音楽的な希望を理解してももらえず、不本意な状況におられるかたは多いと思います。ですので、良好な室内音響の防音室を手に入れたいと思うのでしたら、やはり音楽的な話が通じる設計者や施工者を見つけることが、とても大事なことだと思います。
そして、防音室づくりで扱うのは「音」ではなく「音楽」なのだということを、クライアントも工事関係者もしっかりと認識していることが、よい防音室づくりの秘訣だと思います。
その他の要素 デザインと環境
すでに書きましたように、私は中学生の時に音楽に目覚め、高校生の時は合唱部に入り、大学生の頃からは自ら楽器(チェロ)を手にして学生オーケストラで演奏するくらい熱を入れていました。
その後は、まあいくら音楽が好きといっても、自分程度の才能で音楽家として食べていけるとは思いませんでしたので、仕事としては建築の設計を選びました。そして、特に住宅の設計の仕事をメインとして行ってきたのですが、その後、防音室の設計と施工も手掛けるようなったことは既に書いたとおりです。それに伴って、他の人が手がけた防音室もいろいろと見るようになったのですが、その時にいつも不思議に感じることがありました。それは、どの防音室も室内が実に殺風景だということです。
音楽をする部屋なのですから、それがクラシックであれ、ジャズであれ、ロックであれ、それなりに雰囲気のある空間であって当然ではないでしょうか。しかし私が目にする防音室は、どれも判で押したように壁も天井も吸音ボードや安手の合板ボードのまま、照明は部屋の中央に天井灯が一つだけという、ありきたりで無味乾燥なものばかりで、音楽という芸術を奏でる空間とは、とても言えないようなものばかりでした。
元々、住宅設計から入って、部屋というものの内装デザインを美しく仕上げることが、建築設計家として当然のことと思っていた私は、防音室の無味乾燥さが、ほんとうに不思議でした。なぜそうなるのかというと、防音工事屋さんは、防音性能を満たせば、それで事足れり、自分の役目は済んだ、という意識があるからではないでしょうか。つまり、室内のデザインや雰囲気を良いものにしようという意識もセンスも、持っていないのではないかという気がしています。
でも私は、防音室づくりというものは、単なる「音」を扱うものではなく。「音楽」をする空間を創ることだと考えていますから、やはりデザイン的なことも大切にしたいと思うのです。そして実際、部屋のデザインによって、音楽の感じ方が変わると思います。
たとえば皆さんは、料理を食べる時に、同じ料理でも美しい食器で食べると美味しいと感じられませんか。あるいは、コーヒーや紅茶を飲む時でも、紙コップで飲むよりも美しいコーヒーカップやティーカップで飲んだ時の方が、味わい深いと思いませんか。私は音楽と、それが奏でられる部屋の関係も、料理と食器の関係に似ていると思います。同じ音楽でも、よいデザインの部屋で聴けば、より美しく感じます。決して豪華なデザインをするということではありませんが、その部屋に入っただけで、なにか浮き浮きするようなセンスの良いデザインは、音楽を大いに引き立ててくれます。
また、環境というのは、建築でいうと、照明や空調や換気のことです。防音室は、その目的上、どうしても窓などの少ない閉ざされた空間になりがちですので、心地よい明るさ、すがすがしい空気感というものは、音楽をストレスなく楽しむためには大切な要素になります。デザインのことと同様、良好な環境で奏でたり聴いたりする音楽は、やはり美しく伸びやかなものになると思います。
このように、防音室というものは、そこで奏でられる音楽を引き立てるものでなければなりません。ところが引き立てるどころか、わざわざ音楽的感興をそぐようなデザインや環境の部屋が多いのは、どうしたことでしょう。デザインと環境に留意した部屋づくりをすることは、一般の住まいのリビングルームやベッドルームの場合以上に、防音室において重要視されるべきことなのではないでしょうか。
これらのことについては、第4章であらためて述べたいと思います。
建物本体との関係
さてここまで、防音室を作る上において、いろいろと留意すべき点を述べてきましたが、防音室作りにおいては、もう一つ重要な要素があります。それは建物本体の設計です。防音室は、実験室のようなそれ単体の用途のために独立して設置するケースを別として、大抵の場合、建物の一部として設けられます。住宅内に設ける防音室は、新築住宅の場合は建物本体と防音室が同時に設計され施工されることがありますが、既存住宅の一室を防音室にする場合は、建物本体が先にあって、あとからそれに合わせて防音室を設計し施工することになります。いずれの場合も、建物本体がどのような構造で、どのような形状をしているかということが、そこにつくられる防音室を規定します。また逆に、そこに防音室を作ることによって、建物本体にも影響を及ぼします。
ですから、建物本体のことを無視して防音室の設計を行うことはできません。良い防音室を作るためには、建物本体のことも同時に考えに入れながら設計と施工をしていく必要があります。したがって防音室を設計したり施工したりするものは、建築物本体についての知識も十分に持っていることが求められるのです。
またそれと同時に、建築本体を施工する工務店さんにも、防音室づくりの基本的なことを知ってもらうことが望ましいです。
これはある工務店の人に聞いた話なのですが、その工務店で防音室付きの住宅を手掛けたことがあって、その時の防音工事はクライアントが別に選んだ業者だったのですが、その業者は打ち合わせに際して「建物本体は工務店の方でいいように設計してくれたらいいです。当方はその設計によってあてがわれたスペースに防音工事をするだけですから・・・」と言って、遠慮しているのかやる気がないのか、本体設計には殆ど関わってくれなかったそうです。それで、工務店としては防音室の大きさや配置や立体構成をどうするのが良いのか、よくわからないままに進めていかざるを得なかったそうです。これでは良い防音室はできませんし、家全体も良いものにはなりません。
私事になりますが、当設計室では新築工事において防音室を手掛ける場合は、設計初期の段階で、必ず工務店さんに「新築住宅における防音室関連の設計マニュアル」を手渡して読んでいただくようにしています。これは工務店さんにはたいへん喜んでいただいています。それによって当設計室と工務店さんとの間で知識と信頼の両面での連携が可能になり、良い防音室づくり、良い家づくりにつなげていくことができるのです。
コストについて
さて最後にもうひとつ大切なことを述べておきましょう。それは防音室のコストです。きちんとした遮音性能と室内音響を持つ防音室は、どれくらいの費用でできるものなのか、その相場を明らかにしておきたいと思います。
それについて私の経験をお話しておきます。私が以前に、あるピアニストの方から、新築住宅の一室を約10帖の防音室として、ピアノレッスンやご自分の練習に使用したいというご相談をいただいたことがあります。それで、ご予算はどれくらいでお考えですかとお尋ねしたところ、そのピアニストさんのおっしゃるには、以前に一度、ある工務店(防音専門会社ではない)で見積もりをしてもらったところ、約40万円だったので、それくらいで考えています、というお答えでした。
プロのピアニストが練習やレッスンをする10帖もある防音室が40万円!読者の皆さんはどう思われますか。安い?高い?まあそんなものだろう?
実は、これは、その工務店が音楽のための防音室について全く無知で無経験であることを示しているのです。ネットで防音専門会社が行う防音室づくりのページなどを見てみますと、だいたい15万円×面積(㎡)+50万円くらいが一般的な相場であることがわかります。
たとえば6帖(約10㎡)の広さの防音室なら、15×10+50=200万円ということになります。これは、天井の高さや窓やドアの数や大きさ、また設置する設備機器などによって上下しますが、大体の目安としてはまずます適当な金額だと言ってよいと思います。
さて、あらためて読者の皆さんはどう思われましたか。「えー、そんなにかかるの」と思った方もあれば、「まあそんなものかな」、あるいは「意外と安いじゃん」と思った方もおられるかもしれません。
いろんな感想があると思いますが、前述のある工務店のように40万円では決してまともな防音室はできません。もしこんな見積もりを出す業者なら敬遠すべきで、安いからと飛びついたりしては絶対にいけません。
このように、しっかりした防音室を作るためには、それ相応のコストがかかるものだということは心に留めておいていただきたいのですが、もちろんそれを基準としつつも、できるだけコストを低く抑える方策は十分に検討すべきですし、努力もすべきです。そしてそのポイントは、やはり建物本体と防音室との関係にあります。このことは第5章で詳しく述べたいと思います。
建築・音響・デザインのコラボレーション
ここまで良い防音室を作るための方法を述べてきたわけですが、そのためには防音室の設計や施工に携わる者は、単に音響のことの知識だけでなく、音楽についての素養、楽器についての知識、デザインや環境についての知識、建築物本体についての知識、コスト管理についての能力といったものを持ち合わせている必要があります。
しかし実際は、なかなかそのような要素をバランスよく持ち合わせている業者は少ないのが現状です。設計事務所や工務店、ハウスメーカーのような建築業者は、音響のことに無知なことがたいへん多い(というかそれが普通)ですし、防音業者は音のことは詳しくても建築のことには疎かったりすることがあります。またどちらも音楽や楽器のことについてはあまり理解能力がなく、クライアントである音楽家や音楽愛好家と意思疎通が不十分にしかできないということも往々にして見受けられることなのです。
ですので、防音室を設計し施工する者は、これらの要素を持ち合わせていることが大事であると考えています。とはいっても、なかなかこれらのことを一人の人間が習熟するのは容易なことではありません。ですので、それぞれの要素の専門家が、それぞれの知識や経験や能力を出し合って協力するということが、良い防音室をつくるための望ましい態勢であると私は考えています。そのようなコラボレーションによって防音室づくりを行っていくことが、クライアントに満足していただける良い防音室をつくるために、必要とされていることだと思います。
さてここまで、良い防音室づくりのためには、どのような要素があるのか、どのようなことが大切か、そしてどのような姿勢で行うべきなのかということについて書いてきました。
いよいよ次章からは、それぞれの要素における基礎知識について述べていきたいと思います。