第1章 防音室づくりの姿勢・あり方(その1)

私と音楽、そして音

 前書きにも書きましたように、私は建築設計士(一級建築士)です。設計の仕事を始めてから、もう30年以上になり、当初は主に一般的な一戸建て住宅の設計を手がけてきたのですが、2010年頃から、音楽のための防音室の設計と工事も手がけるようになりました。 ですから、仕事としては先に住宅の設計があって、途中から防音室も業務の範囲に入れたということになります。(この点が、防音工事のみを業務としている世間一般の防音業者と違う私どもの独自性であり、強みとなっています。)
 でも、私の興味というのは、実は音楽の方が先で、建築の方が後でした。ですので、まず私と音楽(および音)との出会いから書いて行きたいと思います。

 

 私が音楽の出会いは、私が中学3年生だったとき、我が家で小さなステレオ(まあ今で言うミニコンポ)を買ったことに始まります。当時はCDなど、まだありませんでしたから、聞けるのはレコードだけです。ターンテーブルは17センチで、カートリッジの針圧(レコード針がレコード盤に接するときの重量)は9グラムという重さ。(高級なレコードプレヤーは1から2グラムです。)スピーカーは16cm左右各1本のみという、かなり安物の装置でした。
 そして、初めて買ったレコードは、忘れもしません、ブルーコメッツの「マリアの泉」。当時人気のあったグループサウンズのヒット曲です。(これで年がわかりますね。)そして、妹はザ・タイガースのファンでしたし、母は布施明が好きでしたので、しばらくは、そのような流行歌のドーナツ盤(45回転の17センチ盤)を聴いていました。
 ところがそのうちに母が何を思ったのか、せっかくステレオを買ったのだからクラシックでも聴いてみようかと言い出して、神戸元町のレコード屋へ行きました。そして何も知らずに、だだその場で、有名そうな曲で名前だけは知っていた「運命」という曲と「未完成」という曲が裏表になったLP(33回転の30センチ盤)を買いました。演奏しているのは、これも何となく名前だけは聞いたことがある、カラヤンという人が指揮している、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏でした。
 それを買って帰って、早速聴いてみたわけですが、我が家のステレオはターンテーブルの直径が17センチしかないので、30センチLPは大きくはみ出して、しかも針圧9グラムなので、レコード盤が何となくしなってしまう感じだったのですが、一応聴くことができました。

 

 それを聴いて、私は打ちのめされてしまいました。こんなに力強くて堂々としていてしかも美しい音楽があったのか。学校から帰ってくると毎日聴きました。それ以来クラシック音楽に夢中になりました。
 「運命」というのはベートーヴェンの作曲で、「未完成」というのはシューベルトの作曲ということも知って、他のいろいろな曲も聴いてみたくなり、おこずかいを工面して、時には親にねだって、クラシックのLPを1枚1枚買っていくようになりました。
 ベートヴェンの「田園」や「皇帝」、ドヴォルザークの「新世界」、チャイコフスキーの「悲愴」、モーツアルトの交響曲40番、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、・・・。

 

 そして高校に入ると、合唱部に入りました。(本当は、器楽をやりたかったのですが、そのようなクラブがありませんでした。)バリトンのパートの一員でしたが、音楽好きというだけで声は全然良くなかったと思います。しかし、2年生になると指揮者にしてもらいました。これは多分、歌は下手だけど、音楽が好きなようなので、まあ指揮者にでもしておくのが一番いいかなという先輩及び同輩の考えによってだと思います。
 また、高校の文化祭には、各学年およびクラス別の合唱コンクールというのがあるのですが、そこでも指揮者をさせてもらって、全12クラス中の一位になり、校長先生から表彰状を手渡してもらいました。嬉しかったですが、音楽のことで表彰されたのは後にも先にもこの時だけです。

 

 さて高校時代はそのように勉強よりも音楽活動に熱を入れていて、学業の方はぱっとしませんでしたが、大学を目指してどのような分野に進むかを決めなくてはならなくなり、私の父が神戸で建築設計の仕事をしており、その仕事にも魅力を感じていたこともあって建築学科を志望し、一浪はしましたがなんとか大学に入ることができました。そしてその大学には学生オーケストラのクラブがあったので、念願のオーケストラ部員となることができました。といっても、それまで私は楽器を全く弾いたことがなかったのですが、一応チェロ担当ということで、練習を始めることになりました。
 最初の半年は、もっぱら個人練習で、オーケストラの中で弾かせてもらうことなど全くありませんでしたが、そのうち、入れてもらえるようになって、チェロパートの一番後ろで、見よう見まねで弾くようになりました。そしてその年の12月の演奏会に出してもらって、一番後ろで弾いたのが、なんとベートヴェンの第九交響曲という大作でした。もちろんちゃんと弾けるわけもなく、弾けるところだけ弾いて、弾けないところは弾いている振りだけしていましたけど。
 その後、ベートーヴェンの「運命」、ドヴォルザークの交響曲第8番、ブラームズの交響曲第1番、ベルルオーズの幻想交響曲など、クラシックの定番ともいえる名曲の演奏にまがりなりにも参加させてもらい、そして生のオーケストラの音そして音楽ホールの音を実地体験できたことは、私にとってたいへん貴重な経験になりました。
 ただ、私にとって、音楽的興味の対象は、実は上記のようなフルオーケストラによる古典派やロマン派の楽曲から、バロック音楽に移りつつあったのです。それからのことは、第6章でまた述べていきたいと思います。

 

その頃住んでいた家

 そのようにして、建築学を学びながら、音楽活動にもいそしんでいたのですが、その頃、私が住んでいた家について、少し書いておきたいと思います。なぜなら、その家の「音」というのが、私の建築音響の原点になっているからです。
 前述しましたように、私の父は建築設計士だったのですが、兵庫県西宮市の山手(というと聞こえがいいのですが、当時は本当にかなりの山奥)に、自ら設計した2階建ての一戸建て住宅を建てて、家族4人で住んでいました。延面積30坪に満たないほどの、小さな住宅だったのですが、家の中央に2階分の吹抜けの天井の高いリビングルームがありました。そしてその内装は、壁が漆喰塗り、床はヒノキのフローリングでした。
 この部屋の音が、たいへん良かったのです。私が最初にレコードを聞いた安物の小型ステレオでも、ベルリン・フィルの音が結構良い音で聴けたのだと思いますし、学生オケでチェロを練習するようになって、初めて自宅へ持ち帰って弾いた時も、朗々と鳴るのに驚きました。いつも練習している大学の個人練習室は、狭くて天井も低い上に部屋全体が穴明き吸音ボードで囲まれていて、貧弱な音しかしなかったのです。
 それに比べると、我が家のリビングルームはたいへん良い音に感じられて、そこで弾いていると、自分が上手になったように感じられました。つまり弾いていて楽しくて気分も昂まるように感じたのです。
 これはチェロだけでなく、リコーダーなどの管楽器でも、同じように感じられました。これが私の室内音響原体験といってもいいかと思います。
 ただし、ここで言っておかなければならないのは、その部屋で弾いたのは、初心者の一本のチェロであり、一本のリコーダーであり、小型のステレオの低音量での音であったということです。もしここで、プロ級の腕前の人がグランドピアノを弾いたり、弦楽四重奏を奏でたりしたら、それはきっと反響過多のために混濁した響きになって聴くに耐えないものになり、弾いている人にとっても不満の大きいものになったに違いありません。
 つまり、室内音響というものを考えるにおいては、そこでどのような音楽を、どのような楽器で、どのような編成で奏でたいのかということが重要なポイントで、そのことが、部屋の広さや天井の高さ、そして壁や天井や床の材質の選定をするにおいての重要な要素になってくるということです。
 したがって、防音室を作るにあたっては、それを設計する者や施工する者が、音楽のことや楽器のことについて一定以上の知識を持っていなければならないということ、そしてクライアントである音楽家の方や音楽愛好家の方々のご要望を的確に理解できる音楽的知識と感性を持っていることが大切であるということにつながってくるのです。 

 

防音室工事に携わる

  さて、大学を卒業して、十年ほど、工務店や設計事務所で勤務した後に、独立して設計事務所を営むようになりました。まあ、独立したと言っても当初は他の設計事務所の下請けとして図面作成等の仕事をしていましたが、そのうち段々とクライアント(建て主さん)から直接に、住宅を中心とした建物の設計依頼をいただけるようになりました。 しかし、その頃は、私自身が防音工事についての知識が少なく、また音楽は単なる趣味と考えていて、仕事と音楽を結びつけることには殆ど関心がありませんでした。しかし「まえがき」に書きましたように、ある音楽愛好家の方から防音室付きの住宅の設計依頼を受けたことが防音室設計に携わるきっかけになり、その後、防音室付きの新築住宅を設計したり、既存住宅においてその一室を防音室に改造することなど、いろいろな防音室の設計と工事を手がけることになりました。
 そうして、それに伴って、すでに防音室をお持ちの方からも、いろいろなご相談を受けるようになり、その問題点やクライアントが不満に思われていることが、いろいろとわかるようになってきました。
 そのような不満点には、どのようなことがあるのか。それを次に書いてみたいと思います。

 

防音室についての不満

 不満というのは、目的あるいは期待することがあって、それが満たされていない場合に起こるものだと思います。それでは、防音室を作る目的はどのようなことにあり、クライアントはどのようなことを期待しているのでしょうか。
 それは、まず近隣に気兼ねなく音楽の練習ができることが、どなたも思いつく第一の目的であり期待だと思います。つまり近隣住居に対する遮音性です。
 私も自分で楽器を弾くのでわかるのですが、音楽を演奏したり練習したりすることにおいて一番いけないことは、自分の出す音が近隣の人に対して迷惑になっているのではないかと、周りを気にして思う存分音を出すことを躊躇したり萎縮したりしてしまうことです。それでは決して上達しないと思いますし、そもそも楽しくありません。ですから、いつでも思う存分音が出せるということは、防音室というものが当然持っているべき、基本的な存在価値であると思うのですが、それが十分に満たされていないものがあるのです。

 

 それでは、近隣に対する遮音性能が十分であれば、それで防音室は合格であり、不満が生じることはないかというと、そうではありません。実際に、他の業者によって防音室を作られた方で、それに不満を感じ、私どもの設計室に相談に来られる方の多くの方が改善を望んでおられることは、音の美しさです。
 せっかく防音室を作って思う存分楽器を弾いたり歌を歌ったり、あるいはオーディオを鳴らすことができる環境を作ったのに、そこで演奏する音が良くない。潤いのないスカスカの音だったり、耳障りなキンキンした音だったりする。そのため音楽をしていても全然楽しくない。そういった不満を持っておられる方が本当に多いのです。

 

 もちろん、そうでない防音室もあります。しっかりした遮音性能があり、美しい室内音響を持つ部屋。そのような、「良い防音室」がある一方で、遮音性能が劣り、部屋の響きも悪い「ダメな防音室」も存在するのは、どうしてなのでしょうか。そして、どうして「ダメな防音室」ができてしまうのでしょうか。